ソーシャルメディアで「感動できればデマでも良い」ではいけない理由


日没

感動できれば、デマでもよくない

主にFacebook上で、感動の実話を装った捏造・デマが、シェアにより広がる事例が増えています。

私も「感動できればデマでも良い」は否定しています。

上記のリンク先で、それがなぜいけないのか、非常に論理的に解説されていますので、ご一読頂きたいのですが、私が「感動できればデマでも良い」を否定する原因は、東日本大震災にあります。

善意の空回りが大混乱を生んだ大震災

私は3月11日の震災発生直後から暫く、FacebookTwitterで、大混乱・錯綜していた、震災の「正しい」情報を集積・整理して、拡散する作業をしていました。
なぜ、そんな事をしていたかと言えば、善意の空回りによる、嘘の救援情報の拡散が予想され、実際にそれが酷かったからです。

実際に、震災発生から1週間後に書いた、如何にソーシャルメディアを通じて、情報が変容し、無秩序に拡散するか。それを分析した記事があるので、そちらもご参考ください。

Twitterで救援情報がチェーンメール化した事例と情報拡散の在り方

善意の空回りは、何かを奪う

得れば、失う。失えば、得る」。よくこれを、話します。

大量の善意の空回りは、確実に間違った方向へのエネルギーを得ます。そして、そのエネルギーが救援省庁への間違った、問い合わせの殺到になり、スムーズな救援活動を失います。結果として、助かる筈だった命も、失ってしまったのかもしれません…。

今回、大震災とソーシャルメディアで起こった経験と、沢山のものを失った事で、我々は貴重な教訓を得ました。

きちんとソーシャルの中で、その真偽を見極め、情報を正確に取り扱うITリテラシーは、今だからこそ、確保すべきものです。
なぜなら、それは、次の大災害で、大切な命を一人でも多く救う為にも、必要なのです。

ウマの目

通常時の過失であれば許されるのか

また、震災時ではない、通常時だから、善意の空回りによるシェア(過失)は許される、という向きも感じます。

シェアした本人が、それで良いとしても、それを友人が読んで感動し、それをシェアしてしまうかもしれません。そして、それが嘘だと指摘されたら、その友人の「あなたへの信頼」はどうなるのか、想像するべきです。

また、故意ではなかったにしろ、どんな形であれ、嘘を伝えてしまった事は、自分の友達への「裏切り行為」であると考えれば、自然と取るべき対応も決まる筈です。

シェアとは「責任ある行為」である事を、明確に認識するべきです。

あなたの善意は誰が為にあるか

また、ここの所、ソーシャルメディア上の善意の空回りを、故意的に利用しようとする意図を感じている事も懸念の一つです。

今の所、大きな被害を及ぼすようなものではなくて、シェアを増やして友達数を確保したいとか、シェアを増やして、ちょっとした人気者になりたいとか、その程度の意図ではあります。
しかし、確実に、これから「善意を利用する存在」は増えるでしょう。

そもそも、誰しも、ソーシャルで投稿する以上は、絶対に大なり小なりの”意図”が込められています。その意図は、投稿の内容だけでなく、投稿者のプロフィールとタイムラインの発言を落ち着いて眺めれば、なんとなく見えるものです。

特に、即座に思考停止をして、シェアで広げたくなるような、あまりにも感動的&酷い話であるほど、シェアをする前に一呼吸を置いて、その思考停止は仕組まれたものでないのか、数分で良いので、検証をするべきです。

あなたの善意は尊いものであり、安々と他人にくれてやるものではありません。是非、本当に困っている人を、的確に助ける為に善意を使ってください。

今回のまとめ
これから先、失わない為に、思考停止しない思考。